2011年8月2日火曜日

とらがあめについていろいろ

コト コト 
と頭のなかで
ちょっとずつ物事が動きはじめた気がします。
すこし考えがまとまって頭が身動きできるようになってきました。


もともと考えるのは苦手なくせに。
いろいろな出来事があって、心がそわそわしていたし
いくつかの物事についてを同時にくるくる考えて。
ひとつとして考えがまとまらない感じだったんだけど。
こんがらがっていた糸がすこしほどけてきた気がします。


とらがあめ(3階) photo:Noguchi Hiroshi
6月に開催されていた大磯での個展「とらがあめ」が終了して
一ヶ月ちょっとたちました。

個展「とらがあめ」は今年の3月11日にちょうど打ち合わせがあって開催が決定しました。
プランのおおまかな内容は3.11前に考えていたことだけど
3.11を境にいろいろなことが起って、いろいろ考えて、
そしてやはり普段何気なくみている景色がそれ以前とは違う感覚で眺めているということをはっきり感じたし、
それを無視して作品をつくる事はできないと思ったのです。

何か考えとか意見とかを強く訴えようというのではなく。
素直に自分が感じた事それを形にしたかった。
「大変な今こそ明るい作品を」とかじゃなくて、
やっぱり心の中に感じているものをそのままにしか出せなくて
今回はあのような形の作品を発表しました。
特に3階の黒いインスタレーションはそこがはっきり出ていたと思います。

とらがあめ(3階窓部分写真)photo:Noguchi Hiroshi
3.11以降世界の危うさを思い知ったし、
実際目に見えないもののこわさ。について感じていた。
おそらくそういうことって今回の事で多くの人が感じていた事だったと思う。
だからわざわざ私があらためていう事でもなかったのかも?
とも思うけど。
2011年の3月11日直後私はこういう風に世界をみていたんだと言うことを自分自身に刻み込みたかったというのが一番正直な所だと思う。
大きくかわった世界をこの作品をつくることによって
はっきりとしたビジョンで自分が記憶したかったのかもしれない。
 日本の空の上をもやもやと覆いかぶさっていたいろいろな感情や目に見えない物質を私が感じるままに目に見えるかたちにしてみた。
と言うことだと思う。
今までになく今回は作品をつくることによって自分の感じていたことが
徐々に明確になっていったのだと思う。
drawing 黒雲(部分)紙に水彩等

「とらがあめ」のストーリーは
自分のひとつひとつの考えや感情、感覚を繋いでくれていた。
昔大磯に住んでいた遊女「虎御前」さんの涙と
今現在の私たちの流す涙。かわらぬ人の感情。
悲しいと思う気持ちは今も昔も変わらない普遍の人間の感情で、
でもそれを取り巻く社会の成り立ちや問題は時代ごとに違う。
今現在の事にちゃんと目をむけなくちゃいけないという
自分への指摘。
それらが作品をみる人への問題提起のきっかけになっていたらよりいいと思っています。

そしていつも思っている事だけど作品をみて感じることは人それぞれで自由に想像を広げて くれていいと思っています。
感じる事は人それぞれ、
こういう風に感じなくてはいけないっていう答えはないと思っています。